こんにちは お久しぶりです。
1つ音楽会への参加が終了し、落ちついているところであります。
その音楽会を通して、思ったことを記載しておきます。
まず、場数を踏むことの重要性。 とにかく演奏する上で重要なのは、本番観客が喜ぶ(良い演奏という意味)ことです。それさえできればそれ以前の練習量だったり、練習方法等はっきり言ってどうでもよいなと思います。今回小中学生の中に混ざり、(1/10)演奏しましたが、どうでしょうね、10人の中で良し‼‼! という人はいなかったのかなと思います。舞台袖でみなさんの表情とか、色々感じることができましたが、3人くらいは緊張感なく??(すごいなと思いましたけど)笑顔で戻ってきていましたね(笑) 僕自身はノーミスではあったんですが、聞いた方々の反応は良くはなかったように思いました。 結局解釈だったり、表現だったり、観客にとっては、いろいろな意味で、僕の演奏はつまらなかったのかなと思います。
実際、曲自体が難易度は低い曲(とはいえブルグミュラー25はそれなりに難しいと思います)だったのもあるのかな、あんまり関係ないと思いますが、、どんな曲でも、演奏次第で素晴らしくなると思うからです。
僕の年齢から始める人はそういう所が、きついですね、やっぱりある程度の年齢だと、それなりのレベルを求められますから、、そういうギャップがあったのかもしれません。
次回はだいぶレベルをあげれればいいなと思いますが、、とはいえ適正な曲の選択ができないと、きつくなってきてしまいますね。今回中学生でベートヴェンの悲壮3楽章を弾いた方がいらっしゃいましたが、暗譜が間に合わず、完成度も少し悪かったですね、とはいえ、自分はあの曲を今の実力では弾けると思わないですし、挑戦自体がすごいなと思いました。
若いからこその勢いはこういう所で差を感じましたね。ほぼ確実に安定して弾ける曲を選んだ自分と、弾きたい曲を選んで必死に練習した中学生、自分に足りないのはそういう所なのかもしれないと思った一面でした。
今現時点で習っている、ピアノ教室では2年に一回の演奏の場を設けるというコンセプトで、その周期で演奏会があります。今回はそれとは別の演奏会でして、出演決定から準備期間4か月あったのですが、実力不足で選択できる曲が少なかったです。
ということで、基礎力の少なさはどこまでもまとわりついてくるってことです。それは本番はもちろんですが、その他すべてに関わってきました。 生活では、睡眠、その他の趣味、体調…きつかったですね(笑) 準備はできてはいましたが、それは自分の判断。 必要な準備はできていなかったのだと思います。
すぐに実力が上がるはずもないので、練習しかありませんが、才能とは何だろうかと思うときはありますね。
事実外国では才能は一般常識としてあるようです。適正とも少し違うような気がするのですが、ここでは適正という言葉で表現してもよいのではないかと。
分かりやすいたとえでいうと、スポーツですね。 それぞれのスポーツにとって有利な体格というのが、どうしても存在します。物理で証明されていますが、、格闘技なんかだと体重制限があると思うのですがあれは、体重がどうしても関係するので、あのようなルールになっていますね。
というように、適正は確実に存在するものだと思います。自分にどの適正があってどのような道に…というのは、今後さらに進んでいくのかもしれませんね。生物学は特に伸びてきている分野です。改造とまではいかないのかもですが、そういう人間も作られてくる可能性は高い。
誰も時代の流れは変えられないので、自分が生きる範囲の期間を楽しむだけです。

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